top of page

運営法人

白い波と葉っぱ02.png

蛍ケ丘団地  創世記

静岡商工福祉事業協同組合

初代理事長 桜井尚二(故人)

戦争で開け戦争で暮れた青春時代、戦争の為に犠牲となって、南海の果てに散華していった戦友の為に、生き残った者の生命の意味として何ができるかと考え続けてきた。

昭和31年、静岡青年会議所理事長に就任の際、テーマの一つ「社会への奉仕」の具体化として中小企業の従業員の退職金制度を作るべきだと考えた。その後、参加企業も増えたが、池田内閣の所得倍増政策が打ち出され、所得も倍増したが、社宅の設備もない住宅問題が中小企業の従業員の関心ごとだった。

昭和38年、静岡商工福祉事業協同組合を設立し、新間の2,000坪の買収から始め、20,000坪が終わった。団地ができれば村も発展し道もよくなるだろうと住宅団地を造るに至った。

夢殿会の由来

日本一の設計家、清家清(せいけきよし)氏にお願いし、蛍ヶ丘団地は北に5階建てのアパート群、庭園、広場を隔てて4階建てアパート群、一番南側に約百軒の分譲住宅、中央に公園、保育園、ショッピングセンター、運動場、周囲に駐車場を配置したレイアウトにより建設されていった。

団地ができて5年後、子どもも多くなってきたのでと、昭和43年申請し44年の春認可が下りた。保育園は別法人、社会福祉法人夢殿会とし、清家清氏が、法隆寺の夢殿のように、しかも六角形だと六辺に自由に継ぎ足しができて面白い建物を造ろうと提案なさった。

明治維新後百年経って飛鳥、白鳳の文化に匹敵すべき東西両文化を総合した20世紀の新文化を背負うべき子ども達が生まれ成長してくれるよう願って教育に努力してきた経緯がある。

蛍ヶ丘15周年記念誌より抜粋

沿革

昭和43年

4月

第1回 蛍ケ丘保育園 入園式(未認可)

5月

社会福祉法人 夢殿会 組織認可

昭和44年

4月

定員 60 名 (乳児 12 名) 設置認可 保育事業開始

昭和50年

定員増員の認可申請

昭和51年

3月

(児第12号) 保育所の変更について承認の通達

4月

定員 90 名 実施

平成21年

3月

新園舎竣工・旧園舎解体

平成27年

静岡商工福祉事業協同組合が解散

6月

ヨシコン株式会社による総合街づくり計画により、蛍ケ丘保育園周辺がさらに変化・発展しはじめる

平成29年

2月

蛍ケ丘保育園 乳児棟 増築

4月

定員 100 名 実施

8月

七間町保育園 認可許可

12月

天皇陛下より 御下賜金(ごかしきん)をたまわる

平成30年

6月

七間町保育園認可 定員30名

令和元年

​吉田立志氏 名誉顧問に就任

幼保連携型認定こども園 蛍ケ丘保育園に移行 1号定員6名

令和2年

1号認定12名 合計112名

令和4年

園東側には静岡リハビリテーション病院が開院 及び 住宅地が立ち並び、西、北側には現在も若い世代向けの分譲地、宅地造成中である。

​歴代理事長

​歴代園長

bottom of page